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KPOPとは(KPOPの語源と定義、日本進出の背景)

「K-POP」の語源と定義

1980年代後半より日本国内のポピュラー音楽に「J-POP」という語が使われ始めたことに影響を受け、1990年代中ごろから、日本国内における比較語として韓国のポピュラー音楽を指して「K-POP」という語が使われるようになった。

なお、韓国では自国の大衆音楽のことは専ら「カヨ(가요、歌謡)」と呼び、海外向けのプロモーションでのみ「K-POP」の語を使う。韓国では別の意味を指す「K-POPS」という表記や、固有名詞として「K-POP」という名のアイドルグループも存在し、紛らわしいためである。

韓国の演歌ともいえるトロットを歌う歌手は基本的にK-POP(カヨ)アーティストには含まれない。しかしチャン・ユンジョンなどの現代の若手トロット歌手をK-POPアーティストとして位置付ける場合もあり、この定義には未だに揺れがあるといえる。

80年代から90年代までの韓国歌謡界は日本のJ-POPの影響を多く受けていた。代表的な例に、Roo’Raの「天上有愛」[1]、H.O.T.の「CANDY」などがある。

また、日本のアイドルをベンチマーキングしていたのも事実であり、DSPメディアのイ・ホヨン社長やSMエンターテインメントの創設者であるイ・スマンがジャニーズに影響を受けたことが知られている。

当初は、日本の影響が強く歌手や音楽も国内だけで売り出している事が多かったが、一定水準以上の発展の後、この風潮は未来がないと見て、2000年以降からは北米に進出することにした。(1998年に日本デビューしたS.E.S.がこの点を明確に表している。)

東南アジアには1990年ごろから韓国の歌謡曲が進出をはじめていたが、2000年代に入るとタイ王国やシンガポールでK-POPが広く知られるようになった。日本でも韓国のSMエンターテインメント社が日本のエイベックス社と業務提携をして、自社に所属する韓国人アイドルグループの東方神起などを売り出していった。2004年の韓国テレビドラマ『冬のソナタ』をきっかけとした韓流ドラマや、それらに伴う主題歌と主演俳優が後押しをしていき、2000年代後半ごろからは日本をビジネスチャンスとする韓国人アイドルグループが増えていった。アメリカやヨーロッパなどにもK-POPの輸出は推進され、PSYの「江南スタイル」が大きな成果を挙げた。「江南スタイル」は当時流行していたEDMと呼ばれる先進的な音楽性を取り入れつつ、乗馬ダンスとも称される独特のダンスをPVで全面に押し出し、「オバマ大統領とトムクルーズ以外の全てのアメリカ人が真似をした」とワシントンポストが報道するほどの社会的なブームとなった。[要出典]アジア発の楽曲がアメリカのBillboard Hot 100で2位以内にランクインしたのは坂本九「上を向いて歩こう」以来、史上2度目であった。またKARAや東方神起などはアジアにおけるスターのアイコン的な存在として欧米などの西側諸国で営業活動を推進していた。K-POPの海外進出は韓国政府が推進している韓流の輸出政策の一環として継続的に行われており、一過性の減少ではない。韓国という国家自体のイメージアップに繋がることが期待されている。

K-POPの日本進出の背景

日本の音楽市場との格差

K-POPアーティストが日本語を習得して日本語の歌で次々デビューしている背景には、日本の音楽市場規模が韓国の約30倍と破格に大きいことに加え、韓国ではいわゆるCDアルバムが日本円で約1000円前後と、音楽に対する商用価値が低いことも挙げられている。世界各国の全てのジャンルを含めた音楽売上高(市場規模)をレコード会社収入ベースで見ると、2008年(平成20年)は世界総計で184億米ドルの売上高があり、そのうちアメリカ合衆国と日本の2国合計で、世界シェアの約50%を占めて他を圧倒している。売上高順位1位がアメリカ合衆国の49億7700万米ドル(同27%)、2位が日本の41億0900万米ドル(同22%)であり、以下大きく数字を引き離し、3位がイギリスの18億4500万米ドル(同10%)、4位がドイツの16億2700万米ドル(同9%)、5位がフランスの10億5000万米ドル(同6%)[4]で、3位以下の主要3国合計でも、アメリカ合衆国の単独売上に達せず、2位の日本の単独売上とほぼ同数に留まっている。そんな中で韓国については、わずか1億4000万米ドルで18位だった(世界シェア1%)[4]。また、2008年(平成20年)9月のリーマン・ショック以降、大韓民国ウォンが1997年(平成9年)のアジア通貨危機以来の安値まで暴落し、値を戻しながらもウォン安傾向が続いているため、日本市場を重視した形で攻略する方が、結果的には利益が多くなる可能性が高い状態となっていることも、韓国ショービジネスの日本進出の動機の1つとなっている。

日本の音楽市場の現実

韓国語が日本語と文法的に近いため、文法的に遠い英語や中国語よりは習得し易く、同じ単語も多く翻訳が容易であることがある。そういった意味から、マーケティングのしやすさであり、ビジネス交渉のしやすさを作りだしていることも背景として挙げられる。一方、日本の音楽産業としては、レンタルビジネスの定着や、インターネットの普及と楽曲の音楽配信などの影響もあって、従来メディアとしての「CD」の売上高が、1998年(平成10年)の5879億円をピークに、 わずか10年後の2009年(平成21年)には2460億円と、半分以下にまで減少して危機的状況にあったこと[要出典]も特筆しなければならない。その対策として、ほぼ素人に近い新人アイドル(歌手、芸人、俳優)の大量販売や、人気の定着を待たないベスト盤販売など、実力派アーティストを育てない、第一印象主義の使い捨て的新譜の大量発売(薄利多売)が主戦略として行われており、そういった状況下(音楽の低価値化)においては、円高 ウォン安によって日本人アーティストより安価な労働力と言える韓国人アーティストを輸入した方が、素材面で明らかにビジネスリスクが低い上、ある程度までの基礎的育成は本国で行われるから、先行投資的な要素においても経費が省けて、ヒットの是非以前のコストパフォーマンスが良いという、マネージメント側の、典型的なデメリット回避的ビジネス指向に合致する場面が目立って行った。韓流ドラマについても同様の理由で、日本のメディアにとってはビジネス上、魅力的であり、多くの作品が輸入され放映されている。なお、韓国から日本への文化輸出に制限はないが、その逆には制限がかかっている(「韓国での日本大衆文化の流入制限」参照)。 一方で2012年の李明博竹島上陸および韓国による天皇謝罪要求をきっかけとして、それまで堅調に伸びていた韓流ブームが突如として終焉を迎え、日本国内でのK-POPビジネスは大きな転換期を迎えている。

K-POPの世界(日米)戦略

韓国政府は、大韓民国国家ブランド委員会や韓国コンテンツ振興院(KOCCA)の設立等を通してコンテンツ産業振興・輸出の一環としてK-POPを強力に支援しており、2010年10月29日には東京国際フォーラムホールAでK-POPショーケースが全席無料招待で開催された。また2011年には、欧州など海外で「新韓流ブーム」を巻き起こしているK-POPの今後のインフラを拡充するとして、スター育成に向けたK-POPアカデミー(仮称)支援事業や、2015年までの4年間で1兆ウォンの予算を投資するグローバルファンドを通じて韓流コンテンツ制作などを推進する予定であることなどが発表された。

韓国の2008年度の文化振興予算は1169億で、日本の1018億円より多い。国家予算比では日本の7倍であり。自国市場規模がそれほど大きくない韓国はコンテンツ輸出産業に活路を求め、国家的な規模でK-POPをはじめとする商品の海外への宣伝と輸出を積極的に推し進めている。パリで開催したKorean Connectionでは韓国政府機関が後援し、Japan Expoでは韓国コンテンツ振興院が自らブースを出展して、K-POPを宣伝している。また韓国政府の後援を受けたVANKもK-POP振興のためにネット上で積極的に活動を行っている。尚、政府から資金の注入された強引な宣伝は、「ゴリ押し」ともとられ、近年はその方法論議も相まって、各国で嫌韓を助長しているという向きもある。

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